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中村紗枝子と長井祥子-2 [Lento 5,秋]

紗枝子は和音の子どもの頃の様子を話し続ける。
「あれっ、って思ったのは絵美が3才になった頃、絵美にちょっと障害があって、個性的な子になることが分かった頃かな、あの子がピアノで絵美に話しかけていたのよ。」
「どんな曲だったんですか?」
「知ってる曲をベースにしているけど、明らかに即興的に弾いていて、絵美がいたずらしようとすると、そんなことしちゃだめよってピアノでしかってるんですよ。
絵美がやめると、おりこうさんねって感じの曲になって、見ているこちらが不思議な気分になって。」
「ピアノで語るか…、梶田先生からもお聞きしましたけど、え~っと、先生は6年の終わりぐらいって言ってみえましたが。」
「その頃には姉妹喧嘩もピアノでやってたのよ、まぁ、めったに喧嘩することはなかったんですけどね。
学校でのできごととか、ピアノで妹に伝えていたり、妹の話にピアノで答えたり、学校でうまくいってなくて口数の少ない子だったけど、あの子の気持ちはいつもピアノでわかるから接し易かったの。」
「いじめとかあったのですか?」
「具体的なことはあの子、話さなかったからよく分からなかったんだけどね、ここへ絵美を迎えに来るのは良い気分転換になってたみたい。」
「そうなんですか。」
「この文化祭での演奏も、初めての時は先生方からお願いされちゃった、って嬉しそうにしてたわね、恩返しできるって感じで。」
「でも梶田先生は和音が学校に来ると演奏をおねだりしてたとか。」
「人前で演奏する機会が少なかったかったから、それが嬉しかったんですよ。」
「なるほど。」
「そう言えば音楽教室とかには行かなかったんですか?」
「子ども向けのところでは先生の方が和音のレベルについてけなさそうで…。」
「では、あの演奏技術の高さはお母様の指導によるものなんですね。」
「指導と言えるかどうか…、4年生ぐらいからは、学校から帰って来るのを見計らってピアノに譜面を置いておいたんです。
で、帰ってくると、おやつが先かピアノが先かはあの子の気分次第なんですけど、とりあえず置いてある譜面の曲を弾き始めるんです。
そのまま自分の物にしてしまう時もあったけど、ちょっとイメージが湧かない時は私にCDを要求してきて…、もちろん著名ピアニストの名演奏は私のCDコレションにあるから、それを聴いてから、また弾いてみて、お母さん指見てって言って来るんです。
難しい曲は、どの指でどの音を叩けば良いかって迷うこともあったみたいなの。」
「じゃあお母様の指導だけで基礎を?」
「たまに私の親友、プロのピアニストが頼みもしないのに来て教えてたわ。
中学生時代は、高校の音楽科への入学に向けてって回数が増えたわね…、ほんと頼みもしなかったことだから…、考えてみたらずいぶん安く済んでるかもね。」
「その人も、やっぱり和音の才能を伸ばしたかったんですね。」
「だと、思うんだけど、彼女は、和音のピアノが聴きたくて遊びに来てるだけよ、って。」
「う~ん、それが本心だったのかも~。」

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